アメリカ人に恋愛は可能か? アン・ブラッドストリートをてがかりに
アメリカの夫婦関係は恋愛関係である
アメリカの夫婦関係は、ぼくなどからみれば、緊張の連続にみえる。彼らは、いわば、つねに恋愛を持続していなければならないのだから。
かなりステレオタイプ化されているが、妻の髪型を褒め、洋服が似合うと言い「おまえを愛している」と毎日ささやくのが、今でも、夫として正しい振舞いである。妻もまた、たとえ70歳、80歳であろうと、いつもきれいに着飾り、愛を刺激する。
娘の離婚話に対する、ある母親の反応として「夜寝るとき、どんなネグリジェを着ていたのか」と質問したエピソードがあるが、これも、性的な刺激を含めて、結婚相手とのあいだで恋愛関係を持続させることが最優先であると思われているためだろう。アメリカ人にとって、愛とは、精神的な恋愛であり、かつ、肉体的なセックスである。
あたりまえのことだが、結婚制度が恋愛を持続させる装置として働く保証はない。アメリカ合衆国では、契約という考え方が結婚制度にまでおよぶから、愛を誓った結婚生活で恋愛感情・愛情関係が無くなれば、離婚する。もちろん、その決心に至るまでには、激しくも辛い葛藤があるに違いないが。
アメリカ的結婚観はいつ始まったか
結婚生活が恋愛でなければならないような結婚観が、いつ、アメリカで始まったのかといえば、もちろん、アメリカが起源したときである。次の詩作品は、アメリカ最初の詩人といわれるアン・ブラッドストリートがうたったものだが、既にそこには、現代に受け継がれる夫婦愛が表明されていて、ひじょうに興味深い。
わたしの大切な愛する夫へ アン・ブラッドストリート
もしも ふたりがひとつなら わたしたちがそうでしょう
もしも 夫が妻に愛されるなら あなたが そうでしょう
もしも 妻が夫といっしょで 幸せだとすれば さあ
あなたがた 女のひと できるなら わたしと較べて
わたしは 世界じゅうの金鉱や 東洋にある
すべての富よりも あなたの愛を大切に思う
わたしの愛は 激しくて 河の流れも 消せず
あなたからの愛以外つり合うものがありません
あなたの愛は わたしがどうやっても報いることができないほどで
天がいろんな形で あなたに報いるようにと わたしは 祈ります
ですから わたしたちが生きるかぎり 愛に生き続け もはや
生きることがないのなら わたしたちは 永遠に生きましょう
もともと、結婚した相手に捧げる恋愛詩は珍しいが、ここでは、夫婦愛が明白にうたわれている。詩人は、ほかの女の人たちに挑むかのように「わたしと較べて」と命令し、高らかに夫への愛を宣言する。ブラッドストリートは、アメリカ独立のずうっと以前、まだ大航海時代の雰囲気が漂う1630年、ピューリタンの信仰に生きるためにイギリスを去り、夫とともにマサチューセッツ湾植民地ボストン周辺で開拓生活に入った人である。最後の2行は、死後において愛の持続を求めているように読めるが、そう明確に言えば、ピューリタンの教えに反するため回りくどい表現になったのだろう。
アメリカ人たちは今なお恋愛へ挑戦し続ける
アメリカ人に恋愛は可能か? もちろん可能だろう。だが、これは、アメリカ人に結婚は可能かとほとんど同じ問いのように聞こえる。恋愛を維持するのは難しいから、離婚率がかなり高くなってきているし、また、新しい男女関係や家族観が模索されている。しかし、それでも、アメリカから結婚制度が無くなるわけではない。かって彼らの始祖とも言うべきピューリタンたちが試みたように、恋愛の維持へ向けて、彼らの多くは、日々挑戦を繰り返す。何度でも繰り返す決意がある。
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