2013年4月4日木曜日

アメリカの暗い情熱 ―エドワード・テイラー再読


この論文は、エドワード・テイラー関する研究動向と、彼の生きたアメリカ植民地
時代の宗教動向を簡単に概観した後、これまであまりにも有名であるために批評対象
としては無視されがちだった「主婦仕事」("Huswifery")を中心にしながら、エドワ
ード・テイラーの再読を行おうとする。この時、彼の中に潜む、暗い情熱としか言い
様のない無意識裡のドラマを明らかにし、結果として、現代のアメリカにも通ずると
思われるような問題点を、実は、ピューリタンの時代からアメリカが抱え込んでいた
ことを指摘できればと思う。

1遅れてきた詩人エドワード・テイラー――これまでの研究動向
 エドワード・テイラー(一六四二?ー一七二九)は、「植民地時代における最大の
詩人」、ないし「一九世紀以前の最も偉大な作者」と絶賛されてきた。(1)しかし、
この絶賛は、彼の草稿が発見された時期と密接に絡み合う。
 一九三七年、植民地時代のアメリカ文学史を塗り替える事実を発見し発表したのは
、トマス・H・ジョンソン「エドワード・テイラー: ピューリタンの『聖なる詩人』


」という論文であった。(2)この年、既にスペイン内乱が二年目に入っており、また
、ヨーロッパを席巻しようとするナチス・ドイツに直面して、アメリカ合衆国は、外
交上の具体的な選択や決定は別にして、理念的には、後に連合国側となる国々と共に
、平和と民主主義を守る立場にあり、国内においても、アメリカの伝統的な理想を再
確認しつつある時期であった。したがって、アメリカのアメリカたる由縁を示すよう
な全ての事柄が、合衆国において歓迎されたと言っても過言ではない。こうした国民
的な雰囲気の中、イェール大学で植民地時代の牧師エドワード・テイラーの残した詩
作品の草稿が発見された時、学界は、画期的な発見というよりも、賛辞で迎えるべき
センセーショナルな事件と見なした。したがって、文学史的に厳密である以前に、何
らかの臆断や歓迎の意向が、テイラーの評価に影響を与えたとしても不思議はなかっ
た。二○○年後に、植民地時代の詩人が「発見」されることは、「アメリカ」誕生の
挿話として「アメリカ」史を飾る。自らの誕生に関する甘美な思いを、誰も拒否でき
ないし、する必要もないだろう。(3)
 このテイラーの出現をさらに神話化したのが、出版をめぐる彼の遺言である。公表
を拒否するとの遺言は、言説やその表現を至上のものとして評価しがちなアメリカ社
会へのアンチ・テーゼとして、かえって、神秘的な色彩を帯びる。この遺言は、ジョ
ンソンの論文に明記され、ペリー・ミラーもこれを追認して以来、アメリカ文学の神
話のひとつとなる。そして、批評家や学者たちが様々な憶測をめぐらしてゆく。(4)
 一九三九年にジョンソンの編集によって、テイラーの詩作品が出版されたが、(5)


彼の編集方法に対して批判が出た。ジョンソン版は、『神の決意』(Gods Determina
tion)を全て収録したが、『備えとしての瞑想』(Preparatory Meditations)に関
しては、一二八篇のみを収めたので、ルイス・L・マーツは、テイラーの詩人として
の姿を、間違いではないにしろ不完全なものとして提示していると非難した。草稿を
読み解く作業に関しても、ジョンソンの全てが信頼できるものではない。たとえば、
『備えとしての瞑想』というタイトルをめぐってさえそうである。(6)
 シドニー・リンドは、かなり、批判的にテイラーの「発見」、および、彼の作品に
接した。彼によれば、ピューリタニズムを神学的・文化的に読み解く作業の中に位置
づけられるべきテイラーの作品は、植民地時代の詩選集に選ばれてよいけれど、しか
し、学会を騒がして、「発見」後一○年も経たずに、いわば、テーラー批評産業を成
立させるほどの詩人ではないと断言する。仮定としてテイラーの作品が存命中に印刷
されていたとすれば、一九世紀あたりで一度再版されるかもしれないが、その後は、
膨大なアメリカ文学史の中で数頁を与えられて、安息を楽しんでいたに違いないと推
測している。(7)
 これまでの批評は、主として、詩作品とくに彼のメタファーを中心に展開されてき
た。神との永遠の合一に生きることを熱望したテイラーは、プロテスタントが持つ言
語中心主義、キリスト中心主義という伝統の中に位置づけられる。彼にとって、キリ
ストが言語であり、人間の言語活動が、この偉大なる、肉体化された原テキストを読
む作業として捉えらえる。言語とは、身体化された真理を理解し表現するもの、償い


を保障するはずだが、未知のものを既知のものに結びつけ、じぶんの教会の会衆たち
とコミュニケーションを図ろうとして、彼は、言語の限界に気づき、結局、神の恩寵
に全てを預ける。人間の言語は、いかなる神性をも表現できないのだから。人間こそ
が、キリストの生きたメタファーであらねばならないのだが、人間であるゆえに、か
ならず、失敗する。人間は、したがって、キリストの肉体の一部となるために、彼の
恩寵にこそ頼らざるをえない。
 作品の評価に関して、『神の決意』は、宗教思想を韻文化したに過ぎず、『備えと
しての瞑想』こそがエドワード・テイラーの主要な詩作品として残るであろうと言わ
れている。これまで、テイラーの散文は、会衆に発表されたため、よく練られた議論
に溢れる公的なものであり、他方、詩作品は、神以外に聴衆を持たず、叙情的、連想
的、瞑想的で私的なものだと考えられてきた。しかし、メタファー観や聴衆観の同一
性を探る中で、最近、彼の散文(説教や日記など)と詩作品の類似性を研究の対象と
する論文が多くなってきたが、詩作品で主として取りあげられるのは、『備えとして
の瞑想』である。小品は、前述のジョンソンの画期的な論文が「主婦仕事」を始めと
して五篇紹介し、それ以来、愛されてはいるが中心的な作品とは見なされていない。
たとえば、グラーボによれば、「主婦仕事」は、テイラーの作品の中で最も有名だが
、最高の作品ではないと言う。最近は、中世の伝統的な錬金術との関連で、彼の詩作
を位置づける論文も出現している。これは、最終的には、ピューリタニズムの中に潜
在するルネッサンス的、錬金術的、また、パラケルスス的傾向を読み当てようとして


いるのだろう。(8)

2歴史の中のピューリタニズム――テイラーの時代(9)
 カルヴィニズムは、罪人は一陣の嵐によって連れ去られ、恩寵から全てを剥奪され
ているので、救済を期待することも再生の印を求めて自己の内面を覗くこともできな
い。真の回心の時まで、人間は、精神的には虚無に過ぎないので、審判の時に「備え
る」ことはできないとした。カルヴィン自身、「備え」という考えそのものを忌避し
た。人間の側のいかなる努力も、聖霊の贈り物を受け取りやすくするわけではないの
だから。
 これに反して、ピューリタンたちは、人間は全く剥奪されてはいるが、それでも恩
寵へ備えることができると考える。備えたからといって、しかし、自らの回心と救い
を左右することはできないことも前提とはしていたが。「備え」とは、実に、ニュー
・イングランドでの主柱であった。ピューリタンたちによれば、この世に生まれた人
間は、神託を露にすることも、その本性の力でキリストを選ぶこともできないが、し
かし、人間の側から律法にわずかずつでも応じることができる。したがって、予定調
和と一致すると信じていた「備え」と言う言葉が意味するのは、神によって明らかに
された言葉の光りの中で行う、引き延ばされた内省と自己分析である。この最も印象
深い例が、エドワード・テイラーの『備えのための瞑想』である。これは、救済を操
作する手段として、偏執的にプロセスを使う、無限に引き延ばされた危機の典型とい


えよう。逆説的に言えば、この危機は解決するためではなく、むしろ、解決の引き延
ばしによって自我の野蛮な性癖へ枠を填めることに、その目的があった。
 ピューリタニズムほど、恐怖・疑惑・絶望の問題に関心を寄せた宗教活動は無いし
、内面生活の葛藤をそれほど綿密に叙述する宗教活動も無いと言われる。ピューリタ
ンたちは、膨大な量の日記を付けたが、そのほとんどは、じぶんの信仰に関する疑念
の克服や自己省察に向けられていた。とくに、聖職者たちによって、あらかじめ記述
されたうえで語られる説教は、週日、人びとを地獄の業火に投げ入れ続けた。彼らは
、タイポロジカルな発想により、ジェレミア(エレミア)とその民に起きた過去の実
際の出来事が予兆となって、じぶんたちにも、同じ事態が発生したと仮想した。ジェ
レミアの嘆きを引き起こした原因は、捕囚が現実に起きたためだが、アメリカン・ピ
ューリタンは、起こるかもしれない堕罪を現実と仮想して嘆いたと言ってよいだろう
。したがって、この嘆きは、人びとへの威嚇として機能する。これが、ピュータンの
レトリックであった。
 一応信仰を告白して、基本的な教義を理解し、神に適うような行いをしている限り
は教会員として迎えていた、それ以前の改革教会と違って、ニューイングランドの組
合派教会は、一六四○年までに、メンバーになろうとするすべての者に、教会員全員
の前で、単に教義上の知識や信念ではなくて、試練が含まれる回心の経験を語たるよ
うに求めた。(10)これは、神に不適な牧師たちや信者たちを教会や主の晩餐から閉め
出す一方で、「目に見える聖人たち」を同定しようとしたためだが、この「目に見え


る聖人たち」とは、魂に恩寵の嵐を経験し、この事実を他の聖人たちの満足がゆくま
で明示できる者たちを意味した。おそらく、真の回心と誠の救済への信仰を持つ証拠
を要求したのは、彼らがアメリカへ渡ってきた経験を共有していたためだろう。この
語りにおいて、あまりにも完璧な確信を示したりすると、回心は脆いのではないだろ
うかと疑われた。正しい救済の確信とは、常に確信を疑うことにあった。確かである
ためには、不確かであること、これが、ピューリタン信仰の核心であった。
 回心の語りにもとづく教会への参加制限は、幾つかの問題点を持っていたが、その
最も致命的な点は、教会員の人数が減ることである。最初、ニューイングランドの教
会員(組合員)は全て主の晩餐に参加したが、一六五○年頃から、この参加者が著し
く数を減らし始めたので、参加の条件を緩めようとする動きが現れた。結局、この問
題を解決するべく、一六六二年にマサチューセッツ大法廷が宗教会議を招集し、そこ
で、ピューリタンの子どもたちの中の「信仰の存在」が認知された。理由は、彼らが
約束の地に生まれたからである。同時に、洗礼対象の拡大を図る条項も決定された。
この結果、「半教会員」ないし「半契約」という新しい区分が生まれる。(11)この区
分に属する人たちは、洗礼を受けてメンバーとなり、教会活動に携わるが、主の晩餐
への参加と教会関連事項に関す投票権が無かった。また、彼らは、回心の証拠を示す
必要がなかった。
 一六六二年の宗教会議の決定は、一方では、第二世代以降を信仰へ導く可能性を生
むが、他方では、結果として、主の晩餐に不完全な回心者を招き入れることになる。


したがって、非回心者の子供たちに洗礼を認めることは、結局、親である非回心者た
ちにも、主の晩餐への参加を認めざるを得なくなるのではないかという危惧を、少な
からぬ聖職者が抱いた。彼らは、ニューイングランドの純粋さとその使命を空洞化す
るのではないかと恐れた。他の幾人かの聖職者は、逆に、半契約の不徹底さに不満を
持った。特に有名なのは、マサチューセッツ州ノーザンプトンの牧師で、後にジョナ
サン・エドワーズの祖父となるソロモン・ストダードである。彼は、半契約の実効性
に疑問を持ち、一六六二年の宗教会議の決定よりも更に、主の晩餐の自由化を図った
。彼は、一六七七年には、半契約の考えだけでなく教会契約の概念そのものも放棄し
て、信仰信条を受け入れる者は大人も子供も全て洗礼を施すし、たとえ回心の経験が
無くても信心深い者は全て、主の晩餐に受け入れると宣言した。この考えは、ニュー
イングランドをカルヴィンの考えへ戻そうとしたと言えよう。
 エドワード・テイラーが大西洋を渡ったのは、アメリカの植民地がこうした議論に
沸いていた頃であった。スタンフォードによれば、(12)彼は、一六六○年王政復古の
時、一八歳前後であり、クロムウェル時代に彼のピューリタン的な性格と確信が形成
されたと言ってよい。しかし、チャールズ二世が王位に戻ったので、将来の希望を失
う。教職に就くはずであった彼は、一六六二年の「統一令」に応じることを拒み、教
えることも説教することも、また、ケンブリッジやオクスフォードなどの大学に入学
することもできずに、迫害や追放の恐れに悩まされる。ついに、一六六八年四月二六
日、イングランドを発ち、アメリカに船出した。


 ジョンソンやリンドが認め、スタンフォードが証明したように、(13)テイラーは、
ピューリタニズムの正統派であった。彼は、一六六二年宗教会議の決定を全面的に受
け入れ、「半契約」制度と主の主の晩餐を守る立場から、既に改心を果たした教会員
にのみ主の晩餐出席が許されるべきだと主張し続けた。テイラーがウェストフィール
ドに赴任したのは、一六七一年だが、正式に牧師に任命されたのは、一六七九年八月
であった。ウェストフィールドは、住民が三○名にも満たない小さな毛皮貿易の中継
点だったが、他のニューイングランドの大多数の町と同様に、正式な教会員、半契約
の教会員、及び、教会には出ないか出られない人たちという三つの区分からなってい
ただろう。したがって、聖人ないし神に選ばれた者を強調するために、どうしても、
テイラーは、罪及び罪人を強調する方向を選ばざるをえなかった。
 テイラーは、八○年代から説教の中や「主の晩餐に関する論文」(一六九三ー九四
)で、ストダードに論争を仕掛けている。しかし、彼は、一六三○年代アメリカン・
ピューリタンの原思想とも言うべき厳密な洗礼へ戻ろうと主張するわけではなかった
。この主張は、後にストダードの孫にあたるジョナサン・エドワーズが、ストダード
の考えを捨てて、半契約の教会員を主の晩餐から閉め出すだけでなく、洗礼もまた、
聖人とその子どもに限ると宣言した時に復活するのであるが。テイラーは、じぶんが
聖職に任命されたときに主流であった考えを採り、聖職者としてそれに固執した。こ
れは、大いに、彼の頑固で保守的、かつ、優柔不断な性格にもよったであろう。(14)
 しかし、ピューリタンたちの第二世代以降をいかに宗教活動と信仰の道へ引き込む


かが、ニューイングランドにおける焦眉の課題であったため、主の晩餐の自由化を目
指すストダードの主張が、他の教会によって次々に受け入れられゆく。結局、テイラ
ーは、三○年以上にも渡って、ストダード主義を批判し続けたが、次第に、正統を守
る孤島となっていった。テイラーが老齢となり影響力を行使できなくなった時、すな
わち、彼が死ぬ一年前、ウェストフィールドの教会は、投票によって、ストダードの
実践を採用する決定を下した。
 以上の概括を踏まえれば、エドワード・テイラーが正統だと信じていた洗礼対象や
主の晩餐参加の条件に関する考え方も、実は、移り変わるピューリタニズムの歴史に
現れて捨てられてゆくひとつのドグマにすぎないことがわかる。彼は、ストダードが
示した新しい考えに断固として反対したが、ストダードからは反駁するに値する論者
とはみなされず、反対論は、インクリーズ・マザーによって代表され、テイラーの意
図にも関わらず、テイラーの説教は出版されなかった。

3メタファーの裏切り――「主婦仕事」について
 テイラーの天職としての牧師と、天禀としての詩人との関係は、かなり錯綜してい
る。ピューリタン的に考えれば、神も作者も共に創造に関わるので、神に仕えること
と、詩作品を創造することは、矛盾する。ひと時にしろ、創作をしている間は、自ら
が一種の神になることに他ならず、ピューリタンの信仰にとって、許されざる罪にな
る。(15)彼は、詩人として、「信仰の喜び」をうたうのではなく、「信仰の喜び」を


うたう喜びをうたおうとした。テイラーにおいて、現実には、詩作と説教が表裏一体
の関係にあった。これは、発想や文体において詩作と説教とに多くの共通点があるだ
けでなく、さらに実際的な意味で、詩作をするから説教ができ、説教をするから詩作
ができるという補完関係にあった。実際、牧師の職を辞めると同時に、詩作を放棄し
ている。(16)
 六行一連で全三連からなる「主婦仕事」は、ノーマン・グラーボによれば、一行一
○シラブル、脚韻ababccの構成なので、『備えのための瞑想』と同じ形式であ
るから、「主婦仕事」も、主の晩餐に「備え」るためであるとする。(17)この作品中
の「わたし」は、糸紡ぎから機織りを経て仕上がる服装を身にまとい、神の栄光を讃
え、神との合一を果たそうとするが、全て、神へ一方的に呼びかけてゆく。たとえば
、第一連は、次のようになっている。(18)

わたしを、神よ、あなたの完璧な紡ぎ車にしてください
 あなたの聖なる言葉が、わたしのため わたしの糸巻き棒に
わたしの愛を、あなたの素早く手際良い糸撚り機に
 わたしの魂を、あなたの聖なる糸巻きに
 わたしの言葉を、あなたのかせ枠にしてくださり     5
 紡ぎ糸を、あなたの紡ぎ車に巻き上げてください

しかし、どうして、こうした呼びかけが喜びであり、また、神へじぶんの声が届くと
思えるのだろうか、そして、いつ神が答えるのだろうかと、ここで問うことは控える
べきだろう。一生をかけて、答えぬ神へ呼びかける人びとの時代から、救済確信の喪
失や現実への絶望などにより「神への不信」「神の沈黙」が始まる時代へ至るまで、
なお、一世紀半以上の歳月が必要である。今は、まだ、ピューリタンの時代であり、
引き延ばされた神への接近こそが、信仰や救済の確信につながると思われていた。
 ここで注目すべきことは、「わたし」と「神」を結ぶイメージとして、「糸」およ
び「糸」関連の言葉が使われている点である。テイラーが織物製造工程に関してよく
知っていたのは、英国とアメリカで普通の家庭内の仕事だっただけでなく、彼の生地
レスターシャが織物産業地に近かったためだろう。「紡ぎ車」によってできる六行目
「紡ぎ糸」(yarn)が、七行目「撚り糸」(Twine)となり、「機織り機」を通って
九行目「織り布」(Web)になる。これを「 機」(織った布を洗って、密にする機械
)へ通した後、染め上げられ仕立て上げられたのが、一七行目「衣」(apparell)な
いしは一八行目「清い衣」(Holy robes)である。これをまとった「わたし」が、「
神」の御前に「衣」を示す。この工程は、一連のものであり、そのひとつを強調すべ
きではない。(19)

それから、わたしを、あなたの機織り機にして、この撚り糸を編んでください
 あなたの聖霊に、神よ、糸巻きを回させて、


自らの手で織り布を織ってください 紡ぎ糸はすばらしいのです
 あなたの御命令が、わたしの縮絨機となります         10
 天上にふさわしい色で 鮮やかに染めあげて、
 衣全体を、天国の美しい花ばなで飾ってください

それから、わたしの理解、意志、
 心、判断、良心、記憶を
わたしの言葉と行いを、その衣でおおい、それらの輝きが     15
 わたしの道を賛美で満たし、あなたを讚えるようにしてください
 そうすれば、わたしの衣があなたの前にきらびやかに広がり、
 わたしが清い衣におおわれて あなたの栄光を讃えるでしょう

この作品の趣旨は、神の霊が人を動かし、神の前に出るための準備の仕事が行われる
という点にあり、「糸」および「糸」関連の名詞は、「わたし」と「神」を結ぶ媒介
として使われているので、これらには所有代名詞が無い。言葉遣いにこだわって、六
、九、一一、一三行目を読めば、紡ぎ車を回し、機を織り、染めあげ、「わたし」に
服を着せよと、「わたし」が「あなた」すなわち「神」に命じている。一方、「わた
し」は、「神」の必要とする道具に変ずる。すると、なぜ、道具に冠する所有名詞の
使用方法が一貫していないのだろうか。この一連の工程を実際に行う者は、「神」な


のだろうか。また、結局、タイトル「主婦仕事」が暗示するのは、「神」が「主婦」
であり、「女」であるということだろうか。
 こうした問いを手がかりに作品を読み直すと、糸紡ぎや機織りは、伝統的に女の仕
事であり、また、作品中で一連の工程に必要な道具類は、ほとんど「あなたの」もの
とされているが、しかし、「糸巻き棒」「縮絨機」および「衣」は、「わたしの」も
のである。「糸巻き棒」(distaff)は、手に持って糸を繰る道具であるから、これ
は、「わたし」の行う工程を意味するだろう。そして、この単語には、「女の仕事」
、転じて「女性」という意味がある。『聖書』でも「糸巻き棒」を持つ者は、妻であ
ったし、テイラーも、もちろん、機織りは女の仕事だと考えていた。(20)また、「縮
絨」は、織布の品質を決める重要な中間工程である。ここで、織った布を洗って密に
し、「染め」へ向けて布地として完成させる。最後の「衣」は、もちろん、一連の工
程の完成品であり、しかも、ピューリタンの「男」なら身につけるはずのない「天国
の美しい花ばなで飾られた衣」であった。すると、「あなた」ではなく、「わたし」
が女だと考えるほうが合理的にも見えて、結局、この作品は首尾一貫性しないことに
なる。しかし、急いで付け加えなければならないが、詩作品が詩作品である限りにお
いて、かならずしも首尾一貫する必要はない。矛盾や混乱があってもよい。これは、
素材やテーマや文体などあらゆる点において、そうである。問わねばならないのは、
むしろ、そうした矛盾や混乱が何を伝えるかということだ。
 この作品の中心のメタファーは、「清い衣」だと多くの批評家が考えているが、(2


1)そうではなくて、糸紡ぎから始まって最後に衣服を創造する一連の織物工程である
。ピューリタンは、人間の自発的な意志や行動を否定し、神の予定調和に従うことを
目指していたので、「衣」創造の作業すべてを「神」に委ねて、「わたし」が一切の
道具と成り下がってよいはずであった。しかし、それでは、「人間」として「神」の
御前に現れる可能性が排除され、かつ、「神」を「女」としてしまう。このディレン
マが、メタファーの首尾一貫をテイラーに避けさせて、一人称所有代名詞「わたしの
」を恣意的に使用することによって、創造の工程へ「わたし」を部分的に参画させる
ことになる。この操作によって、テイラーの意図としては、神の力や栄光の賛美を目
指したのだろうが、しかし、言語表現が、逆説的に作者の意図を裏切ることになる。
なぜならば、ピューリタンの女でも着ないないほどきらびやかな花柄の衣服を身にま
とう「わたし」が、受け入れてほしいと「神」を讃えながら、その前に姿を見せる作
品の終わり方に、衣服倒錯症とホモセクシャルな傾向とを、二○世紀末の読者に読み
とらせてしまうためだ。(22)
 牧師という地位を除けば、エドワード・テイラーは、ジェントルマンではなく、そ
こそこのヨーマンに属している。(23)しかも、彼は、牧師であったから、衣服に関す
る社会の戒めを率先して実行するだけでなく、教会員のきらびやかな服装を戒めてい
ただろう。しかし、作品の中で、じぶんが神に選ばれるゆえに、俗世の戒めを破り、
そうした服装をじぶんに許した。こうして、「主婦仕事」は、圧倒的に個人を統制・
支配する者(男性)へ同一化を果たそうとして、無意識に女性的になる一例を示して


いる。文学史的には、テイラーの作品は、一七世紀というかなり早い時期に、アメリ
カにおける抑圧された無意識裡の性問題を暗示したと言えよう。

4衣服倒錯症とホモセクシャルな傾向――ピューリタニズムの抑圧
 「主婦仕事」の読解において、糸紡ぎや機織りを「主婦仕事」と定義しながら、夫
の姿や存在が暗示されていないので、夫のいない寂しい家=神不在の教会を象徴する
などと判断するのは、牽強付会であり、第一、この作品の作者が男である伝記的な事
実を無視している。しかしまた、男が女を装う虚構性、あるいは、「神」を女とみな
す荒唐無稽さを、植民地時代のアメリカ文学に発見しようとするのは、あまりにも不
合理である。むしろ、そこではメタファーに強いられた結果として、無意識に、男が
女を装う虚構性を潜在させ、男の中にある女性原理が抑圧された形で展開したと考え
るべきだろうし、この無意識とは、「神」との関係において解かれるべきだろう。
 「主婦仕事」のタイトルがまさしく「主婦仕事」である限り、「主人ー下僕」でも
「父ー子」でもなく、「夫ー妻」の関係を「あなた(=神)ーわたし」の関係に投影
できるはずだ。この判断は、テイラーの他の作品に見られる同様の例によって、補強
される。たとえば、『備えのための瞑想』I:37(24)は、神とじぶんの関係を家族
関係で読み解くことを許している。その副題「あなたはキリストのものです」は、「
コリント人への手紙1」三章二二節から採られており、31から37まで、主として
この節をめぐって、全てがキリストのものであることを確認しようとしている。とり


わけ、36から、じぶんとキリストとの関係を問い始め、これにしたがって、家族関
係への言及と性的な表現が出現してくる。そして、37で、

        わたしはあなたの子ども、息子、後継ぎ、つれあいでありながら
        こうした関係が要求できる権利を 何も、もらえないのでしょうか?

と尋ねる。ここで「つれあい」と訳した単語は、"spouse"であり、これは、夫へも妻
へも使う言葉だが、O.E.D. によれば、宗教上の用例は、「神/キリストー教会/女
」に適用されている。したがって、ここで、じぶんを女/妻、キリストを男/夫と暗
示していると判断してよいだろう。次に続く連では、性的、身体的な関係を持ちなが
ら、つれないキリストの仕打ちをかこち、「抱きながら 口づけも たまにしか し
てくれないのですか?」と嘆く。最終2行では、

        ですから堰を開いて、あるものをわたしの上に 射出してください
        そうすれば わたしは心地よくなるでしょう

と呼びかけて、性的な恍惚という解釈を許すような命令形で、この作品を閉じる。
 もともと、『聖書』は、イスラエルを〈花嫁〉と比喩したり、教会を〈子羊の花嫁
〉と述べて、男と女の結婚を比喩として借用しながら、神と信者たちとの一体感を表


現してきた。(25)この意味で、女性は、簡単なレトリックや結婚の比喩で、神との一
体感を表現できる。たとえば、アン・ブラッドストリートは、神の下で、罪人として
の分身を創り出し、これを叱る過程で、おのれを救済した。エミリー・ディキンソン
は、作品番号461で、神との合一をうたうが、そこには、何ら、後ろめたさも暗さ
も見られない。(26)ところが、男は、神との結婚の比喩に忠実であろうとすれば、性
の転換を図らねばならない。ここに、ピューリタンの男の苦悩が潜在する。
 エドワード・テイラーは、男であり、かつ、そのことに誇りを持っていながら、(2
7)二つに引き裂かれている。彼は、社会生活・家族生活の中で、教会制度や家父長制
の上に立つ男、つまり、指導者、牧師としての自我と、神の前で下僕として「女」の
ように愛される分身とを必要とした。テイラーが神に向かう手段は、じぶんが罪人だ
という認識であるが、これには裏付けがない。救われるための過程として、「わたし
は罪人」という神話を必要としているにすぎない。(28)彼の本質的なディレンマは、
じぶんが神に依存し、非常に傷つきやすく、また、受動的である、あるいは、そうあ
りたいという罪人としての願いを満たしながら、なおかつ、いかにして、じぶんが神
に選ばれた力のある支配的な男であると自ら納得できるかということであった。
 このディレンマを解く幾つかの方法が、現在、発見されている。たとえば、女性の
衣装をまとって、男根付きの「女」になることである。(29)これは、牧師の服の下に
、女性の下着を着て、日曜日ごとに説教を行うようなタイプであるのかもしれない。
あるいは、最終的に「父」のようになるよりも、むしろ、「父」に愛されること、じ


ぶんの男性性を放棄して、「女」のように愛されることを選ぶかもしれない。(30)ク
レイグ・オーウェンスは、社会に対して「女はかたるため、自らを提示するために、
男性の立場をとる。女性性が仮装、偽の衣装、擬態や誘惑と結び付けられることが多
いのは、このためである」と述べるが、(31)ピューリタンの男たちは、社会に対する
女と全く逆の方法を、神に対して取らざるを得ない。テイラーもまた、自らを女性に
装って、神との結婚を目論む。
 神との結婚および家族関係という、『聖書』にもとづく比喩から「父」の概念を導
入すれば、ピューリタンとは、「父」たろうとする欲望に溢れながら、「父」たる権
利を永遠に奪われている者たちのことである。ピューリタンは、天上に対しては、「
父」の存在確認を明証的に求め、かつ、「父」からの認知を求める。同胞に対しては
、神の下に平等で民主的であろうとするが、「インディアン」や黒人を含めた「異民
族」、および「女」に対しては、支配的な「父」たろうとする。歴史的には、ピュー
リタニズムも、男尊女卑や異民族蔑視の封建思想を維持してきた。これを理解するに
は、男たちだけが署名した「メイフラワー号」の契約や、一九世紀終わりまで続く「
インディアン」討伐の事実を思いだすだけでよいだろう。
 アメリカ植民地時代、どのような抑圧のドラマが無意識裡にあろうと、男は、女に
仕えさせ、そうして、男に仕える女のように、男は、神に対して仕えたのである。

注


1 たとえば、Russel B. Nye and Norman S. Grabo, ed., American Thought and Wr
iting: The Colonial Period (Boston: Houghton Mifflin, 1965) 292; Robert E.
Spiller, et. al., Literary History of the United States, Third Ed. Revised
(New York: Macmillan, 1963) 65; Albert Gelpi, The Tenth Muse: The Psyche of
the American Poet (Cambridge: Cambridge UP, 1991) 15.
2 Thomas H. Johnson, "Edward Taylor: a Puritan Sacred Poet'"  X, 2, June, 1
937, The New England Quarterly: 290-322.
3 Jeffrey A. Hammond, Edward Taylor: Fifty Years of Scholarship and Critici
sm  (Columbia, SC: Camden House, 1993) 3.
4 Thomas H. Johnson, "Edward Taylor: a Puritan Sacred Poet'": 290, Perry Mi
ller, ed., The American Puritans: Their Prose and Poetry (Garden City, NY:
Doubleday, 1956) 302.  遺言の根拠としては、John L.Sibley, Biographical Ske
tches of Graduates of Harvard University  (Cambridge, Mass., 1881) II, 410
や、"Diary of Edward Taylor," Proceedings of the Massachusetts Historical So
ciety , XVIII, 1880-1881 (Boston: Massachusetts Historical Society, 1881)
5, William B. Sprague, Annals of the American Pulpit (New York, 1859) I,
180など。しかし、フランシス・マーフィは、当時の公文書を調査した上で、彼は、
テイラー自身の遺言が存在しないことを明らかにしている。(Francis Murphy, "Edw
ard Taylor's Attitude Toward Publication: A Question Concerning Authority,"


XXXIV. 3, November, 1962, AL: 393-94)
5 Edward Taylor, The Poetical Works of Edward Taylor, ed. Thomas H. Johnson
(1939) (Princeton: Princeton UP, 1966).
6 Louis L. Martz, "Foreword," The Poems of Edward Taylor  ed. Donald E. Sta
nford (Hew Haven: Yale UP, 1960) xiii. スタンフォードは、イェール大学所蔵の
テイラー草稿を精査して、ジョンソンと違い、詩作品全体のタイトルを"Sacramental
Meditation"ではなく、 "Preparatory Meditations"としている。
7 Sidney E. Lind, "Edward Taylor: A Revaluation," XXI, 4, December, 1948, T
he New England Quarterly: 518-30.
8 Louis L. Martz, "Forward."  William J. Scheick,  "The Poetry of Colonial 
America,Columbia Literary History of the United States ed. Emory Elliott,
et. al. (New York: Columbia UP, 1988)  Thomas H. Johnson, "Edward Taylor: a
Puritan 'Sacred Poet'": 290.  Norman Grabo, "Edward Taylor's Spiritual
Huswifery," 74, 1964, PMLA : 554-60.  Stephen Alfred Woolsey, "My handy
works, are Words, and Wordiness': Edward Taylor and the life of language,"
DAI, vol. 49, no. 7, Jan., 1989; Bonnie Carman Harvey, "A movement toward
the integrated self: Antinomianism reflected in the poetry of Taylor,
Emerson, Dickinson, and Frost," DAI, vol. 51, no. 6, 1990; Yanwing Leung,
"To dash out reasons brains': A poststructurist inquiry into Edward


Taylor's 'Preparatory Meditations'," DAI, vol. 51, no. 10, 1991; Duckhee
Shin, "Christian mysticism in Edward Taylor's poems on the Canticles," DAI,
vol. 52, no. 9, Mar., 1992; David George Miller, "The Word made Flash made
Word: The failure and redemption of metaphor in Edward Taylor's
'Christographia'," DAI, vol. 52, no. 9, Mar., 1992; Karen Joyce
Gordon-Grube, "The alchemical 'golden tree' and associated imagery in the
poems of the Hermetic-Paracelsist philosophy," DAI, vol. 52, no.10, Apr.,
1992; Jeffrey A. Hammond, Edward Taylor.
9 この章は、主として以下の著作、および、神学者塚田理の助言に拠った。Norman 
S. Grabo, "The Poet to the Pope: Edward Taylor to Solomon Stoddard," XXXII,
2, May, 1960, AL: 197-201.  David Riesman with Nathan Glazer and Reuel
Denney, The Lonely Crowd: A study of the changing American character (New
haven: Yale UP, 1961).  Norman S. Grabo, "The Appeale Tried': Another
Edward Taylor Manuscript," XXXIV, 3, November, 1962, AL: 395-97.  Edmund S.
Morgan, Visible Saints: The History of a Puritan Idea (New York: New York
UP, 1963).  Norman Pettit, The Heart Prepared: Grace and Conversion in
Puritan Spiritual Life (New Haven: Yale UP, 1966).  Scavan Bercovitch, The
American Jeremiad (Madison: Wisconsin, 1978).  Patricia Caldwell, The
Puritan Conversion Narrative (Cambridge: Cambridge UP, 1983).  Michael


Joseph Schuldiner, Gifts and Works: The Post-conversion Paradigm and
Spiritual Controversy in Seventeenth-Century Massachusetts (Macon, Georgia:
Mercer UP, 1991).
10 モーガンによれば、これまで、アメリカ植民の初めから回心の語りが行われてい
たと考えられていたが、実は、たぶん一六三四年にマサチューセッツで始まり、次第
にプリマス、コネチカット、ニューヘイヴンへと広がり、イングランドへ逆輸出され
たのだろうと説明する。Edmund S. Morgan, Visible Saints 64, 96-98.
11 半契約(half-way covenant)という言葉そのものは、一八世紀ジョナサン・エ
ドワーズの信奉者たちが信仰的に新生を経験していない親たちの子どもへ、洗礼を与
えるべきかどうかをめぐって議論した一七六○年代頃に作り出されたと推測されてい
る。Cf. Robert G. Pope, The Half-Way Covenant.
12 Donald E. Stanford, "Introduction," The Poems of Edward Taylor xix.
13 Thomas H. Johnson, "His Poetry" The Poetical Works of Edward Taylor 26; 
Sidney E. Lind 524; Donald E. Stanford, "Edward Taylor and the Lord's
Supper," XXVII, 2, May, 1955, AL: 172-78.
14 テイラーの性格を浮き立たせるように思えるのが、ウェストフィールド行きの誘
いに対する彼の優柔不断な対応と現状追認型の性格である。はっきりと返事をしてい
ないのに、トマス・デゥーイが彼の様子から誘いを受けるものと判断し、テイラーの
ほうはその判断をどうして納めたものか分からずにいるうちに、結局、ウェストフィ


ールドへデゥーイとともに出発することになる。("Diary of Edward Taylor,": 16-
17)しかも、ウェストフィールド行きに気が進まなかったはずなのに、ひとたびそこ
に落ちつくと、決してそこから出ようとはせずに、ついには、その地の墓地に埋めら
れてしまう。この性格は、ストダード主義へ反対し続けたことや、教会をこれまでと
は違う場所に立て直したときに新しい建物では説教をしたくないと言い張った事実 (
Samuel Sewall, "Letter-Book of Samuel Sewall," Collections of the
Massachusetts Historical Society, 6th Ser., 2 vols., [Boston: Massachusetts
Historical Society, 1886-88] 145) が指し示す頑固さとは矛盾しない。頑固な現状
維持は、実は、時代や国境を越えて、新しい事態にうろたえがちな大多数の人間の選
ぶ道である。
15 Cf. Roy Harvey Pearce, The Continuity of American Poetry (Princeton: Pri
nceton UP, 1961) 57.
16 Donald E. Stanford, "Introduction," xxii.
17 Norman Grabo, "Edward Taylor's Spiritual Huswifery": 560. ただし、スィ
ーウォールの子どもが亡くなったときに書いたお悔やみの手紙の中に同封されて贈ら
れている「結婚、そして、子供の死」も同じ形式である。Samuel Sewall, The Diary
of Samuel Sewall: 1674-1729, ed. M. Halsey Thomas, 2 vols. (New York:
Farrar, Straus and Giroux, 1973) 250; Constance J.Gefvert, Taylor: An
Annotated Bibliography 1668-1970 (Kent UP, 1971) 10.


18 Edward Taylor, The Poems of Edward Taylor ed. Donald E. Stanford (Hew Ha
ven: Yale UP, 1960) 467. 以下、引用は全てこの版による。翻訳は、全て筆者が行
った。
19 「縮絨」を重視した論文に、John Higby, "Taylor's Huswifery," XXX, 7, Item
60, March 1972, The Explicatorがある。しかし、「染め」と「織り」への言及を欠
いた「同じ題で」("Another upon the Same "The Poems of Edward Taylor" 468)
と比較すれば、「主婦仕事」では、織物製造を一連の工程で捉えようとしていること
が明らかであろう。
20 Proverbs xxxi. 19: "She layeth her hands to the spindle, and her hands h
olds the distaff."  Cf. Thomas M. Davis, A Reading of Edward Taylor
(Newark: U of Delaware P, 1992) 39-40; Norman Grabo, "Edward Taylor's
Spiritual Huswifery": 556.
21 たとえば、Norman Grabo, "Edward Taylor's Spiritual Huswifery": 554-60; K
arl Keller, The Example of Edward Taylor (Amherst: U of Massachusetts P,
1975) 183; Michael Joseph Schuldiner, Gifts and Works 111など。
22 植民地時代のピューリタン社会では、普通によく描かれる葬式用の服装よりは、
明るい茶や灰の生地で仕立てた服装をしていたが、装飾や、きらびやかな服装、派手
な色彩は厳禁されていたという。John C. Miller, The First Frontier: Life in Co
lonial America (Boston, UP of America, 1966) 108-21.

23 Donald E. Stanford, "The Parentage of Edward Taylor," XXXIII, 2, May, 19
61, AL: 215-221.
24 The Poems of Edward Taylor 60-61.
25 「エレミア書」2. 2, 32;「マタイ伝」22. 1;「黙示録」19.7, 21. 9。
26 Anne Bradstreet, The Works of  Anne Bradstreet (Cambridge: Harvard UP, 1
967) 292-93.  Emily Dickinson, The Complete Poems of Emily Dickinson, ed.
Thomas H. Johnson (Boston: Little Brown, 1960) 222.
27 後に第一の妻となるエリザベスへの求婚の手紙の中で、テイラーは、彼にとって
、女や妻が教え諭す対象であることを示している。William B. Goodman, "Edward Ta
ylor Writes His Love," XXVII, 4, 1954, New England Quarterly: 510-15.
28 たとえば、『備えのための瞑想』I:38に、「わたしの罪は真っ赤です。わたしは
、神に捕まっております」とある。The Poems of Edward Taylor 62.
29 Louise J. Kaplan, Female Perversions: The Temptations of Emma Bovary (Ne
w York: Doubleday, 1991) 242-43.
30 Kenneth Lewes, The Psychoanalytic Theory of Male Homosexuality (New York
: Simon and Shuster, 1988) 22-47.
31 クレイグ・オーウェンス「他者の言説」、ハル・フォスター編『反美学ーポスト
モダンの諸相』室井尚・吉岡洋訳(東京:勁草書房、1987)108。

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